A君

 A君が養親さんに引き取られたのは3才の時でした。A君は施設にいた時に実母が何度か面会に来ていました。しかし、面会に来てもお目当てはA君ではなく、同じ施設に入っていたA君の姉でした。A君は乳児の時から実母と離れていたため、愛着が持てなかったのでしょう。 
 A君の里親さんが施設で実習を始めた直後から、A君は毎日おんぶにだっこで、すぐ甘えが出てきました。実習が終わり引き取ってからも、どこへ行くのもおんぶ。園できちんとできていた歯磨きも着替えも「いややー」といやがり、里母にしてもらう毎日になりました。里親さんも、A君の体重に耐え、A君の甘えをがんばって受け止めようとしてくれていました。
 A君は年齢も高く、心の中に実母の記憶がしっかりとあったため、里親さんのことをいつの段階で親だと受け入れてくれるのかということが課題でした。初回面会の時は、その呼び方は「おじちゃん」「おばちゃん」でした。しかし、里母が里父を以前より「お父さん」と呼んでいたためか、引き取ってしばらくして自然に「お父さん」と言えるようになりました。あるいは、A君の中に父親像というものがなかったことも良かったのだと思います。しかし、「おばちゃん」はずっと「おばちゃん」のままでした。
 A君は実母が自分の母親なのに、姉には会いに来ても、自分のことはかまってもらえないと何となく気づいていました。施設で生活していた時に「お母さんはお姉ちゃんのお母さんやけど、僕のお母さんと違う」と言ったことがあったそうです。その言葉が彼の心の辛さを表現していると思います。そんな状態で新しい母親ができることに、A君なりに抵抗を感じていたのかもしれません。里母からすれば、A君が自分たちを受け入れてくれるまで待とうと思っていても、「おばちゃん」としか呼んでくれない、というのは辛かっただろうと思います。
 1ヶ月たったある日、里母から電話がかかってきました。聞くと、「おかあちゃんと呼んでくれたんです」という報告でした。「それだけなんですけど、嬉しくて」ということでした。
 「おかあさん」と呼んでくれたことはA君の中で「自分の親になってもいいよ」と認めてくれたことなのかもしれません。電話の前で嬉しくて泣きだしそうになっている里母の顔と、恥ずかしそうに「おかあちゃん」と呼んだA君の顔を思い浮かべながら、「よかったねえ」と言いながら、私も思わず嬉しくて涙がこぼれそうになりました。
 2ヶ月後の家庭訪問では、家についたばかりの私の手を引っ張って、自分の部屋に連れて行き「これAの」「このおもちゃもAの」と嬉しそうに見せてくれました。里親さんとの関係も随分と落ちついてきたように見えました。
 A君は、引き取られた時からおんぶに抱っこはずっとしていましたが、あまり極端な赤ちゃん返りをしていませんでした。でも1ヶ月過ぎたあたりから「おっぱい」と言って服の上から胸に顔を埋めたり、大好きな子豚のぬいぐるみを自分に見立てて里母のおっぱいを吸う真似をしたりしているという話を聞きました。それは、A君が「赤ちゃんになりたい」、「甘えたい」という気持ちをぬいぐるみの子豚に言わせたり、させたりしているのではないかと思い、里母にそのことを話してみました。
 里母ももっと甘えを出してほしいと思っていたこともあって、なるべく意識してスキンシップをとるようにすることで、A君も自然に甘えを出せるようになってきたようです。一緒にお風呂に入って、おっぱいを触ってみたり、吸う真似をしてみたり、彼なりに赤ちゃんをし、喜んでいたようです。
 幼稚園に入園し、しばらくは喜んで通っていたものの、2ヶ月頃から行くのを嫌がるようになりました。近所の人からの「くせになるから泣いてでも連れていかなくちゃ」という声に、里母もなだめすかして連れていった時もあったようです。「来たい時に連れてきて下さい」という保母さんの声に助けられ、「休んでもいいのだ」と里母の腹が座ったためかまた元気に行くようになったそうです。
 周りの子どもに比べると、まだまだ甘えん坊に見えるのか、周りの大人から「いつまでも赤ん坊ではだめだよ」と言われたりするようですが、そんな声を聞き流しながら、「まだまだいいよね」と夫婦で話し合い、抱っこをする日々が続いていたようです。
 A君の場合、引き取られてから、1年ぐらいでほぼ親子関係ができたようです。もちろん、おんぶや抱っこは随分続いていましたし、A君の性格もあったのか、甘えもゆっくりちょっとずつ出ていたようです。里親さんもその都度に、夫婦で話し合い、しっかりと受け止めてくれていたように思います。その後、無事養子縁組も整い名実ともに親子になりました。
 A君は、現在7歳。この春から小学校2年生です。今年は養親さんからの年賀状とは別にA君からはがき一杯に一生懸命書いたひらがなの年賀状が届きました。養親さんの愛情を一心に受けて大きくなっているA君。これからの成長が楽しみです。


(あたらしいふれあい 98年4月号より)