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1999年5月の日記

         
1999年05月27日(木) 弟ができた!・その後 (がみがみ)


昨日は、引き取られて2カ月たった2歳のTくんの家に家庭訪問。
「ワーカー日記・3/27」に書いたのだが、Tくんには5歳になるお兄ちゃんのKくんがいる。
Kくんも養子で、そのことをKくんなりに理解している。
面会・実習の時は、Tくんの世話がやきたくてたまらず、
「いいお兄ちゃんぶり」を発揮していたKくんだが、その後は・・・。
養父母さんは、必要以上にKくんに対して「お兄ちゃん」であることを要求しないように・・
とはしておられるのだが、それでもKくんはあいかわらず「いいお兄ちゃん」。
弟ができたことがうれしくてたまらず、「自慢の弟」なようだ。
ある日、おやこ3人で公園に遊びに行った時、Tくんがなかなか帰ろうとしなかったので、
お母さんはKくんに冗談で、「もうTくん、置いて行こうか」と行ったところ、
「だめ!!せっかく、Tくん、弟に来てくれたのに!」とエライ剣幕だったらしい。
知らないおばさんが、「かわいい子だね」とTくんに声をかけると、
「これ、ぼくの弟のTくん!!」と紹介しまわっているそうな。
もちろん、おもちゃを奪われてけんかになったり、お父さんお母さんの膝を奪い合ったり・・
というのは日常茶飯事だけれど、TくんもKくんの後をついてまわってお兄ちゃんの真似をしたり・・
となかなかほほえましい兄弟ぶりだった。  
養父母さんも2人めの子育てで、気持ちの上でも少し余裕があるのか、
おおらかに子どもと接することができると話しておられた。
そのせいか、Tくんものびのびとしていて、すっかり家族の一員。
もうずっとずっと前から4人家族のような自然な姿だった。

1999年05月22日(土) 総会が終わった (まじまじ)


協会の年次総会がようやく終わりました。
2時から始まった総会と記念事業の映画会が終わったのが、5時半をまわってから。
私も養子たちの保育を担当しましたが、長引いたせいもあってへとへとでした。
子どもたちも、長時間よく辛抱できたなあと思います。
日頃育児に追われている養親さんたちには、久々の映画だったようで
それだけでも良かったかなと思います。  
おとなしかった子がけんかするほど元気になってたり、
落ち着きの無かった子がじっとできるようになったりして、子どもは変化していくんだなあ、と。
養親さんたちもチョット若返っておられたのが印象的でした。

                      
1999年05月19日(水) 4人家族 (うとうと)


きょう、1歳のH君を引き取って1年と4カ月が経ったAさん一家が、
協会事務所に来てくれた。
実はAさんの所には、今年の1月に赤ちゃんが産まれた。
養子のH君がAさん宅に来るまで、一度も妊娠したことがなかったAさんは、
初めとても悩んだという。
だけど、授かった命。きっとH君が連れてきてくれた子ども、とAさんは信じた。
私もそう思う。
お母さんが赤ちゃんに手をとられてしまうことが多くなったので、H君はとても寂しい。
Aさん夫妻はそのことをよく分かっておられ、できるだけH君と関わっている。
4人で並んでいるAさん一家は、とても様になっていて、家族そのものだった。

           
1999年05月17日(月) フクザツな心境 (うとうと)


この間「愛の手」に掲載された女の子の人気がすごい。
この1〜2年「愛の手」への申込みが減ってきているのに、驚きだ。
やっぱりみんな新聞はちゃんと見てはるんやなあ。
そして可愛い子には気持ちが動くんや。としみじみ思った。
私たちにとっては、子どもたちはどの子も可愛い。
目が大きいとか、色が白いとか、顔立ちがどうのとか、はっきり言って関係ない。
でも申込み件数は悲しいくらいに、子どもの顔立ちと比例する。
子どもの顔って変わるのに。私たちはその変化を何例も知っているのに。

           
1999年05月12日(水) ラジオに出演して (わさわさ)


5月8日に毎日放送のラジオ番組で、「おはよう川村龍一です。」に2年半ぶりに出演しました。
愛の手運動35周年を記念しての特別出演でした。
40分ほど子どもたちのこと、最近の申込者の動向、そして活動資金のこと等、
川村さんや豊島さん、それに毎日新聞の編集委員の八木さんとの楽しいおしゃべりでした。  
その中で、41歳の養女として育った女性からファックスが届いていて、
「私の養親は養子であることを隠し続けた人でした。
しかし、私は小学校の3年生の時に友人から知らされ、それ以来弟との親の接し方に敏感になり、
思春期には親 へ反抗し、妊娠・結婚・離婚を経て、その後再婚し、今は幸せに暮らしている。
しかし、養子であることをもっと小さい時に知らせた方がいいのではないか。
協会はそのことにどんな意見をお持ちでしょうか」ということでした。
もちろん私たちも同じ考えであることを話しました。  
放送後も、様々な反応が協会に寄せられています。
養女としてとても不幸な育ち方をなさった方からの電話には、
本当に胸のつぶれる想いがしました。
「おまえなど育てなければ良かった」と死ぬ間際まで言われ、
本当に悲しかったと話されていました。
でも、今色々な人に支えられて、どうにか自分の運命を乗り越えようとなさっていました。
色々な人との感動的な出会いに心からの感謝です。

           
1999年05月06日(木) 支えられて35周年 (がみがみ)


午後、突然の訪問者。杖をついた70過ぎのおじいさんだった。  
5日の日に、毎日新聞に「里親探しも不況直撃−問い合わせ数減少、府の補助金3割カット」
という記事が掲載されたのだが、その記事を見て、寄付金を持ってきてくださったのだった。
記事を見たその日に、事務所まで来て下さったそうだが、
祝日のため、協会が入ってるセンターは閉館だったのだ。申し訳ない・・・。
子どもたちが、ここで生活しているのかと思って、柏餅もたくさん持ってきて下さったのだが、
うちは事務所のみ。これも、申し訳なかったのだが、センターの他の団体の人に分けさせてもらった。
 「寄付するほど、豊かな暮らしをしてるわけじゃないんやけど、記事を見て・・・」とのこと。
他にも数件、「寄付をしたい」とお電話をいただいた。
大阪事務所の活動も、昨日のこどもの日で35周年。多くの人に支えてもらっているんだなぁ・・・と改めて思う。