過去ワーカー日記 本文へジャンプ


1999年6月の日記

         
1999年06月25日(金) 待てば海路の・・(まじまじ)


Aちゃんが初めて愛の手に載ったのは2才の時でした。
その時は適当な里親さんが見つからず、その1年後、再び愛の手に掲載されました。
その時は問い合わせがあったものの、Aちゃんの事情を受け入れられる方がなく、
残念ながら里親さんは決まりませんでした。
Aちゃんは愛嬌があり、なかなか魅力的な子どもだったので、決められないことが残念でした。
2回とも私が担当したので、私の中では秘蔵っ子のように思っていましたが、
最近になってAちゃんに申し込みがありました。
2年越しになるので本当に喜んでいます。Aちゃんとしばらく会っていなかったので、
施設まで会いに行ってきました。
相変わらずAちゃんは持ち前の愛嬌の良さをみせてくれました。
「待てば海路の日和あり」といいますが、こういうことを指すんだろうなあと思いました。

          
1999年06月21日(月) 里親研修会で (わさわさ)


近畿ブロックの里親研修会に出席してきた。
どこのブロックでもそうだが、最近の里親会の会員の減少
とりわけ養育里親の数が減少してきたことに、養育里親の特に役員さんが苛立っている。
数の減少は、たしかに力の低下であるから、心細いのは役員さんばかりではない。
しかし、焦ったところですぐに解決する問題ではないから、少ない少ないと嘆かないで、
せめてブロック単位で集まってみたら相当の人数になるのではというのが私の持論だったので、
研修会を養育里親部会と養子里親部会に、基本的には分けてもらった。
おかげで、第1部会「養育里親の役割と今後」という部会に50人位の養育里親が集まり、
熱心に議論が交わされていた。
もちろん養育里親で、他の分科会に出席された方もいるので、
本当に養育里親だけが一同に集まれば相当の数になるだろう。
1児童相談所管内だけでは、数人からせいぜい10人前後しかいない養育里親も、
50人60人と集まれば、それぞれの体験を分かち合い、養育里親の喜びや苦しさ、
制度の問題点等貴重な意見をもっと世の中に訴えていくことで、
もっと社会の関心を集めることも出来るのではないかと思っている。
ぜひ地道な活動を続けながら、子どもにとって必要な社会資源として
認められるように頑張ってもらいたいと思っているし、協会もそのお手伝いが出来ればと考えている。

           
1999年06月17日(木) 元気の素 (がみがみ)


長野県に住む里親さんから、写真とおたよりが届いた。
いつも、里母さんのコメント付きの「ミニミニ写真」が大量に送られてくるのだけれど、
Rちゃんが引き取られて1年3カ月、今回は第5弾のおたより。
引き取られて数日の不安げなRちゃんの顔の写真から始まって、
先日迎えた2才のお誕生日、おばあちゃんとのお花見の写真まで、
協会の「Rちゃんアルバム」もけっこうな量になってきた。
乳児院にいる時は、「ちょっとエネルギーの乏しい子だ」と言われ、
発達の遅れも心配されていたRちゃんだけれど、なんのその、
なかなか活発なやんちゃ娘に育っている。ほんとに生き生きとした表情の写真ばかり。
「愛されるってことは、こういうことなんだなぁ」と思わせてくれる写真の数々は、
この仕事を続けていくうえでの、私の「元気の素」だ。

           
1999年06月14日(月) 養親講座しめきり (けたけた)


毎年3回開催している養親講座。7月に3回シリーズで開催することになっている。
ここ最近の養親講座の参加者は大体10組程度。
年令もどちらかというと、40才代の方がほとんどだった。それがなんと今回は既に20組。
年令も20代後半から30才の養子を育てようと思っている人の年令としては、随分と若め。
ホームページのお知らせのところに養親講座の案内を載せたものの、
講座の規模としては20組が限度なので、今日をもって、7月の講座は申込みを締め切ることになった。
次回は10月に開催予定をしているので、
ホームページを見て申し込もうと思っているご夫婦には申し訳ないけれど、
次回に参加してもらいたい。
養親講座で養子を迎えることのしんどさも楽しさも感じてもらって、
どんな親子が誕生するか今から楽しみである。

           
1999年06月10日(木) 『育てる』の原稿 (うとうと)


神戸事務所と共同で、年に一回発行している小冊子「育てる」に載せる原稿の推敲に、
連日職員全員が取り組んでいた。〆切は昨日。
やり遂げてほっとしている。養子を育て始めて1、2年経った養母さん4人に集まっていただいて、
毎日新聞記者がインタビューして、語っていただいたもののテープ起こしをしたのだ。
これがすばらしい座談会!
原稿容量は決められていて、多くを削らなければならなかったので、もったいなくて辛かった。
涙を飲みながら削っていって、ようやく何とか収めたのだが、
全文をいつか是非発表したいね、と皆で言っている。

           
1999年06月09日(水) お別れ (まじまじ)


3才2カ月のHちゃんの面会に立ち会ってきました。
Hちゃんの実母さんはHちゃんをとてもかわいがり、毎週のように面会や外泊に来ていたので、
母子の関係がしっかりとできていました。
それでも実母さんは事情があってHちゃんを引き取ることができず、養子にでることになりました。
先週実母さんはHちゃんにお別れをしに来ていて、
その時の実母さんの様子からHちゃんは何か感じていたらしかったのです。
そんないきさつを聞いていたので、今日の面会では、
Hちゃんが里親さんを拒否するのではないかと、とても心配でした。
Hちゃんは前日、保母さんから見せてもらった里親さんの写真をじっと見ていたそうで、
出会った時には里親さんのことを「お父さん、お母さん」と認識したようでした。
おみやげをもらってしばらく外で遊びました。
里親さんもかなりの覚悟をされていたにもかかわらず、
意外にもスムーズだったので皆ほっとしていました。
実習開始の日も決まり、さて帰ろうという頃になって
Hちゃんは里母さんに近づき、膝の上に座りました。
「あと2つ寝たら、お母さん来てくれるからね」と保母さんに言われて、
寂しそうな情けなそうな顔をしていました。
それまでの元気さがすっかりなくなり、意気消沈。
里親さんに何度も抱っこされてから、見送ってくれました。  
別れを経験しているだけに不安だったのかもしれません。
里母さんの「ずっと一緒にいようね」という言葉とHちゃんの表情に、
ちょっと熱いものがこみあげてしまいました。

           
1999年06月01日(火) 踊るお父さん (がみがみ)


4月の初めに、3才9カ月で引き取られたFちゃんの家に行って来ました。
3年9カ月の空白があっての「親子むすび」ですから、なかなか大変。
里母さんを噛んだりつねったりということもひどく、一時期は痣だらけになったそうです。
施設でははずれていたオムツに逆戻りしたり、わざと怒らせるようなことばかりしてきたり・・・。
「怒っちゃいけない」と思いながらも、ついつい声を荒げてしまう日もあったようですが、
それでも、辛抱強くFちゃんの要求を引き受け、付き合ってくださったからか、
2カ月足らずとは思えないくらいの安定ぶりで、安心しました。  
さて、Fちゃんの里父さんは、すでに40代半ばを過ぎ、
何か「おさまってしまっている」感じを受ける人で、
うちの面接でも「覇気が感じられない」とか
、「今から子育てを楽しめるのだろうか」とかと言われていた方なのですが・・・。
そのお父さんが、アンパンマンのキャラクター名をすべて覚え、
「アンパンマン体操」を歌って踊れるようになっておられたのにはびっくり。
「実演」してもらったのですが、「なかなか難しいんですわ」と言いながらも、振り付けは完璧でした。
Fちゃんのウンチつきオムツを替えたり、2人だけで散歩に出たり・・と、
引き取り前には想像し難かった姿に、「子どもの力ってすごいなぁ・・・。
40才を過ぎても、まだまだ人間は『変われる』んだなぁ・・・」と、しみじみ。