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 E子さんの場合 (あたらしいふれあい  98年8月号より)   

  「所長さんはおられますか」と言いながら、少し緊張したE子が事務所に入ってきた。17年ぶりに逢うE子だが、2才の時の面影が目から鼻にかけて残っていた。19才。今日は多分控えめに化粧をしてきたのであろう、マニキュアに今流行の色が目立つだけで、服装もシンプルで黒っぽいブラウスを着ていた。
 数ヶ月前に母親から相談を受けていた。高校を卒業し、専門学校に入学したが、2カ月ほどで退学してしまった。時折外泊をするようになっているし、とりあえず反抗的である。家を出て友達と暮らしたいと言っているが、たまたま知り合った男性が働いている店に出入りし、19才の娘では払いきれない金額の請求を受けている。本人は働いて返すと言っているが、そんな生半可な金額ではない。とりあえず親が支払っているが、とても心配しての相談だった。
 正直、私も心配だった。「一度、娘に逢ってやってください。連れていきますから・・・」と養母は言うが、そう簡単に親についてくるとは思えなかった。だから、E子が自ら電話をして来てくれた時には、とてもうれしかった。
 面接室で向かい合うと、E子の目からどっと涙が溢れた。気を張っていただけに、「あなたから来てくれたのだから、ともかくあなたの話を聞くね」と水を向けたのだが、何をどう話せば良いのか判らなかったのだろう。
 E子は高校2年生の時に、養女であることをうちあけられた。家出して帰ってきたときだったという。それまでは「疑ったこともなかった。だって赤ちゃんからの写真もあったし・・・」と話す。学校で母子手帳が必要になることもなかったし、住民票は見たことはあるが、「子」としか書かれていなかった。戸籍謄本までは見る機会がなかった。
 「うちの親はうるさい。友達の親と比較してもなかなかしたいことをさせてくれなかった。私と全く考え方が違うのよ。特にお父さんは古くさいんだもの・・・」と言う。真面目で誠実な養父母の地道な生き方が、今のE子にはうっとうしくて思えて仕方がないらしい。
 「E子ちゃんは、小さいときからとても難しい子どもだった。あなたを見た瞬間に、この子は一筋縄ではいかないと思ったわ。それは私の職業上の勘なんだけどね。それでもあなたのお父さんとお母さんは『是非この子を育てさせて下さい。この子でなければ・・・』と言って下さったのよ。後になって『たかが2才の子どもに、何を大層に言いはるんや』と内心は思っていたと正直に告白なさったけど・・・、最初の面会の時にそれが事実であることが判ったわ。全くあなたはお二人に懐かなかったの。毎日、お母さんは朝の10時から夕方の4時頃まで施設に通ったのよ。でも傍にも来てくれなかった。『行きはいいのです。まだ今日こそはという希望がありますから。でも帰りは無惨なものです』と、ほら、この機関紙にお母さんからの手紙を載せてあるでしょ。あなたを育てた苦労話よ。読んであげようか」
 2週間経っても、E子は里母の傍にも来てくれなかった。帰ると「E子のお母ちゃん来てんで」と言っているので、実習を続けるよりも思い切って引き取らせた方がいいということになり、子さらいのように泣き叫ぶE子を車に乗せた。でも、施設の門を出るとピタッと泣き止み、身体を固くして身じろぎもしなかったE子が、家に着くと、里母にくっついて離れなかった。無駄な2週間ではなかったのだ。しかし、里父や祖父母へは顔を見ただけで泣く。何もかも1人で背負い込まねばならなかった里母は、みるみる痩せてしまった。「片時も私の傍から離れません。まるで私の影です。疲れているとき、これぐらいうっとうしいものはありません。『そんなにくっつくのはやめて』と怒鳴れば泣き出す始末。朝、私が起きると泣きながら眠くてもついてきます。昼寝もしません。その頃からタレ流しになり、部屋の隅に行ってはしゃがんでジャー。パンツを2階に取りに行っている隙にうんちをポタポタ。朝、目が覚めたとき、E子との1日が始まると思っただけでゾッとしました。毎日電話の前で、『返そう。でも明日まで待って』を繰り返しました。そんな生活が2カ月ほど経ったとき、『誰にも懐かない子、神経質で難しい子ほど本当は育て甲斐のある子ですよ』という言葉を思い出して、また今日から新しい気持ちでE子を育てようと思いました。そんなある日、E子はお父さんの胸に飛び込んできました。日曜日にはお父さんに抱かれて食事します。心開いた人には、少々怒られてもついていきます。今ではおばあちゃんも『この孫が一番かわいい』と言ってくれます。よくしゃべり、大きな声で歌を歌い、笑顔の多い子どもになりました。とてもヤンチャで甘えん坊です。自転車を1人で乗り回すのが好きです・・・」
 お母さんのお手紙に私の記憶を重ねながら話してやると、E子は時折涙を流し、笑いこけて聞いていた。
 結局、家を出て、友人のマンションに同居させてもらっていること。アルバイトで、その友人の母親がやっているスナックで働きだしたこと。好きな彼と昼間逢えないので、つい彼がいる店に出かけてしまうこと。確かに飲めないお酒の代金を取られているけど、彼は何かとカバーしてくれるし、遊び半分の交際ではないことなど話してくれた。
 「ねえ、あなたが母親になっていて、あなたのような娘を持っていたとしたら、母親としてどう思う?」と聞いてみた。「ええ・・・そりゃあ心配するわね・・・!」と言って、はじけるようにE子は笑った。「わかってんねん。でも、照れくさくて『ごめんなさい』なんて言えないもん。だから、つい、すぐばれてしまう嘘をついてその場をごまかしてしまうねん。でも、やっぱり信じて欲しいねんけどなあ・・・」
 親も子も、親子を確認する最後のハードルを越えねばならない。