おやこむすび 本文へジャンプ


 G君の場合  (あたらしいふれあい  98年10月号より)   

 愛の手に掲載される子どもたちの中には、「再掲載」される子どももいます。一度、掲載されたものの、適当な養親さんとの出会いがなく、少し期間をおいて、再度、出会いのチャンスを求めて掲載されるのです。G君も、そんな1人です。G君が愛の手に再掲載されたのは2才の時。一度目の掲載から、ちょうど1年がたっていました。
 初めての面会は、G君にあまり意識させないようにとの配慮か、「お父さんお母さんになる人」ではなく、「施設見学に来た人」という異例の形になり、感動的な対面を期待して訪れた里親も、ほんの少し拍子抜け。しかし、G君は自分が主役であることを感じていて大ハッスルでした。実習を開始した時も、「あっ来た!!」と、すぐに里母の膝にべったりだったそうです。ただ、担当の保母が出勤すると、里母の膝から離れ、保母の元に行ってしまったといいます。その時のG君にとっての里母は、甘えさせてくれる人であり、特別な人だとは意識されていたのでしょうが、いついなくなってしまうか分からない、いなくなった時に甘えられる人を確保しておかなければ・・・という思いだったのでしょうか。
 泊まり込みの実習を経て、家に引き取られた次の日から、「抱っこ攻撃」が始まりました。1日中、起きている間はずっと体重12sのG君を抱っこ。座って抱っこだと納得しないので、里母は立ったまま抱き、「あっち行く、こっち行く」というG君の指図のまま歩き回るという日々が続きました。幸い里父の両親と同居だったので、家事のほとんどは代わってもらえました。
 引き取りから5日目、里母は肩がパンパンに張ってしまい、「今日は立って抱っこできない。座って抱っこしよう」と言うと、途端にG君の表情が変わり、畳に突っ伏し、すごい目つきで里母をにらみつけました。「これが2才児の目つきなのか」と思わせるような、ものすごい目つきだったといいます。驚いた里母が「G君、どうしたの?」「おなか痛いの?」「遊ぼう」といろいろ声をかけても「ううん」「いや」と言うばかり。そのうち、涙が一筋流れてきたのを見て、里母が「もしかして、不安なの?」と尋ねると、「うん」と頷いたそうです。それを聞いて里母は胸がいっぱいになり、「ごめん。お母さんが悪かった。抱っこしようね」「Gはもうお母さんの子どもだから、離さないから安心していいんよ」と、G君をしっかりと抱きしめ、その日1日をずっと抱っこで過ごしました。
 2才の子どもが「不安」という言葉の意味をどう理解しているのかは分かりません。でも、「この人達は、二度と自分を手放さないだろうか」、「この家にずっといられるのだろうか」といった漠然とした「不安」な気持ちが、きっとどの子どもにもあるのでしょう。里母は、G君のその「不安」な気持ちに気づき、しっかりと抱いてやることで、その不安を解消してやることができたのだと思います。その日を境に、少しずつ少しずつ、抱っこの回数、時間が減ってきたといいます。
 2年間、施設という集団の中で過ごしてきたのに、引き取られてからのG君は集団が苦手で、デパートの子ども広場のような所に行っても、集団で遊ぶ子どもたちを「外」から眺めるようなところがあったそうです。里母さんは「1才前くらいの子どもは、そういう集団に入れても、お母さんとべったりくっつきながら、みんなが遊ぶ様子を見ている、Gもそういう段階だったのでは・・・」と話しておられました。G君親子が一緒に暮らし始めたのが、G君が2才4カ月の時。それからの1年あまりで、離れていた2年4カ月分を取り戻す作業をしたのだと思う、と里母さんは言います。その時のG君は実年齢は3才前でも、引き取られた時から始まった「おやこ年齢」は、まだ1才前だったということでしょう。
 引き取りから1年あまりたち、ようやく「あぁ、私たちも『普通の親子』になれた気がするなぁ」と思ったそうです。親子関係が深まるにつれて、G君の実年齢に「おやこ年齢」が少しずつ追いついてきたのでしょう。G君は今、幼稚園。「クラスのやんちゃ坊主ベスト5」らしいです。昨年の秋には、「お母さんのお腹から産まれてないこと」を里母さんはG君に話しました。親子としての歩みはまだまだこれからですが、夫妻がG君との生活を楽しんで下さっているのが何よりです。
 年齢の小さい間に養親に引き取られることは、子どもにとっても養親にとっても、「取り戻さねばならない空白の時間」が少なくてすむということです。G君も、最初に掲載された時に養親が決まっていれば、「親子むすび」の作業はもう少し楽だったでしょう。でも、G君親子を見ていると、この養親さんと出会うために、再掲載までの1年間があったのではないかと思ったりもします。