D子ちゃんは3才の時に愛の手に掲載されましたが、里父さんと里母さんに出会った時は3才半になっていました。面会後、施設で実習が始まりました。実習の3日目にD子ちゃんの方から里母さんに「D子のお母さん?」と聞いてきました。里母さんが「D子ちゃんのお母さんになりたいわ」と言ったところ、もう一度「D子のおばちゃん?みんなのおばちゃん?」と言うので「D子のおばちゃんやで」と言ったところ、とてもうれしそうな顔をしたそうです。
里親さん宅に外泊するようになった頃、はじめはD子ちゃんは脱いだパジャマをたたんだり、お風呂からあがる時に洗面器やいすにお湯をかけて洗ったりしました。でも、何日かして慣れてくると、朝起きてパジャマを脱ぎ、歯磨きを終えて身支度を整えた頃には夕方になっていたそうです。長期に外泊するようになって、だんだんと里親さん宅に馴染んできて施設に戻るのを嫌がるようになりました。何か気に入らないことがあると物にあたり、ドアを乱暴に開け閉めするので、頑丈な玄関のドアが壊れて外れてしまいました。
その他にもいろんなことがありました。D子ちゃんはあまり寝なくても元気で昼寝もせず、里母さんの方が睡眠不足だったそうです。里母さんがうたた寝をしてしまったところに高いところから里母さんのおなかの上に飛び降りてきたりすることもありました。大人への怒りをぶつけてきて、たたいたりかんだりすることもありました。近頃では、たたかれた里母さんが「痛いやんか」と言うと、D子ちゃんが「ごめん。もうちょっとゆるくするわ」というやりとりになっているそうです。買い物に行ってお菓子やおもちゃを次々と欲しがったりすることもありましたが、里母さんは「買ってもしれているわ」と割り切って、D子ちゃんが欲しいだけ買っていると徐々におさまったようです。買い物をしているとすぐどこかに行ってしまい、探しているはずの里母さんのほうが放送で呼び出されたこともあったそうです。
また、引き取られた当初、おっぱいをせがんだり、親戚の赤ちゃんがオムツをしているのを見て、D子ちゃんが「オムツをして」というので里母さんがタオルを巻いてあげたところ、「お父さんに見せよう」とはりきっていましたが、そのうちに動くのにじゃまになって自分ではずしてしまいました。
近所の人から「どこの子なの?」と聞かれ、里母さんが「私の子になったんよ」と言ったところ、「えー!親戚の子じゃないの?」と言われていたら、横からD子ちゃんが「D子です。よろしく」と言ったそうです。
D子ちゃんが3才半まで施設にいましたので自分の姓も知っていたようです。里母さんと幼稚園ごっこなどの遊びをしている中で、「お名前は?」と聞くと、決して名字を言いませんでした。児童相談所のワーカーが家庭訪問に来て尋ねると言うのですが、里親さんには当分は新しい名字も古い名字も決して言わなかったそうです。
D子ちゃんは今年の4月から幼稚園に通っています。幼稚園では皆を笑わせる人気者です。正義感が強くて男の子にも向かっていくそうです。でも、外でがんばっている分、家では赤ちゃん返りをしています。トイレに1人で行かなくなったり、ご飯を食べさせてもらったり、外でだっこを言ったりしています。里母さんと離れたくなくて、夕御飯の支度をしている間もそばで塗り絵をしたり、時にはジャガイモや人参の皮をむいたりしているそうです。もちろん、ほとんど使い物にならないのですが、里母さんはそうしているほうが、「ごはんの準備ができるのでいい」と思っています。お皿を洗ったりするのも好きで、ついでに流しで自分の足まで洗ってしまうそうです。
D子ちゃんはどこへ行くのも里母さんと手をつないでいます。以前は里母さんが手をつなごうとしても振り払って駆け出して行ってしまいましたから、里母さんは「長年の夢がかなってうれしい」と言われています。
半年間は里母さんも叱らずしつけず、我慢してやってこられましたが、そろそろと思い、しつけをするようになり、お尻を叩いたりしたそうです。D子ちゃんは大人の顔色をよく見ていて、「お母さん、D子はそんなに怒って言わなくても優しく言ってくれたらわかる」と言うそうです。今は、里母さんが5つ数える間にやめるというルールができあがっています。
1年たってD子ちゃんも落ち着いてきたということですが、里母さんが振り返って一番辛かったのはD子ちゃんがあまり眠らなかったことだそうです。夜、ドライブに連れ出してようやく眠ったら連れて帰り、その後、里母さんは後片づけをしたりお風呂に入ったりするので、翌朝早いのが体力的に一番しんどかったそうです。大変だったことはもう忘れてしまったと言われていますが、寝顔以外はかわいく思えなかった時もあると話されています。肉体的疲労は「ここで返してなるものか」という気持ちでカバーしてがんばられました。D子ちゃんはもう5才。「今は楽しいことばかりです。D子が来てくれて本当に良かった」と話されていました。
(あたらしいふれあい 98年7月号より)